土曜日の日経の書評で衝撃を受けてしまった。
「母親になって後悔してる」オルナ・ドーナド(新潮社)
タイトルにびっくりした。書評は山崎ナオコーラとあった。(何度か手に取ったけれども最後まで読み進められなかった作家さんだなぁ。この人の代表的な著書も、当時のわたしには衝撃的なタイトルだった。)
書評には
『思い出してほしい。母親自身にも人生がある。自分らしくない人生になったこと、自分の選択ではなくて社会から求められるものに応じて生きてきたことを悔いている。』とあって、なるほど、この本を読んでみたいなぁと早速予約。
あまりのタイトルに、家族に見られたら誤解を生みそう。と思う私もまた期待される役割を背負っているんだろうな。
ざーっと読んで、なるほどな、とわたしが思ったのは
- それは子どもを愛していないということではない
- そういうことを思っていい
- 思っている、感じている、と口に出してもいい
ということなんだな。
この本、今の私だから読めたけれど、昔の私ならもう少ししんどかったかもしれない。
専業主婦からパートに出るとき、転勤帯同先で仕事をするとき、仕事の内容よりも時間や場所が優先条件だったから。子どもが成長するにつれて場所や時間は広がったけれど、やはりわたしの役割の多くを占めているのは「母親」で、あれもできないこれもできない、と感じていたから。
40になるとき、人生の正午にどっぷり捕まって、資格取得と転職。今は、「昔のわたしが理想と考えていた仕事」に就いているから、読める。
すごいタイトルだけど、母親だけじゃなくて、「役割を担っている人」のだれもが対象になると思う。この本が、たまたま母親にあてているだけ。夫でも父でも息子でも娘でも、暗黙の役割がある。市民でも公務員でも先生でも生徒でも。
著者はイスラエルの社会学者ですって。日本の本ではなくても、そんなに違和感なく読めたかな。そういえば少し前に韓国の女性の本も売れましたね、「82年生まれ、キム・ジヨン」チョ・ナムジュ(筑摩書房)。