わたしが当然だと考えていることは、本当に当然なのだろうか。
先日、リビングを模様替えして自分のデスク回りが快適になったと書いた。
これが家族にたいへん評判で。
夫は「(わたしのいない間に)使ってみたらなかなか快適」、というし。子たちも「いいね、自分の部屋にも新しい家具が欲しい、部屋を変えたくなる」という。
我ながらいい。あとは小さなBluetoothのスピーカーを買い足したいな。
こんなに気分がよくなるのなら、早く変更すればよかった。しかし、以前のわたしは、自分の作業空間は手に入らないと思い込んでいた。(場所は手に入ったけれど、完全な自室ではないので音声の問題もあるのだけれど。)音声面で独立できないから、自分の部屋はできないと思っていた。音声を譲ればできたのだ。
案外、こういう「最初から無理だろうとあきらめていたけれど、どうにかなること」というのは多いのではないか。
たとえば、先日夫は下の子の懇談に行ったのだが。男親はゼロではないものの、こういうのは母が行くことが多い。わたしは自分が適任だと思っていた。どちらが行くか交渉できるようになったのも、ここ5年ほど。
子ども乗せ自転車に乗っている男性が多くなった。抱っこ紐を着用している男性も多く見かける。毎度、立食パーティだった会合が弁当式になっていた。コロナパワー。当然だと考えていたことは変化していく。
常識とか当然とか当たり前は、変化する。