主婦が働くことについて焦るブログ

アラフォーおかん、学び直しの理想と現実

タグをつける

先日読んでいた「45歳からの「やりたくないこと」をやめる勇気」木下紫乃(日経PB)のなかに、”自分にタグをつける”、とあったのだけれど。

 

詳しくは読んでもらうとして。自分らしさというか、自分のキャッチフレーズというか、そんな感じのイメージのことだと思います。自分のタグ、自分では見つけられないんですよね。当たり前にもってるから。その特徴に気づかない。

人と話すから「これはタグだったか」と気づくんです。で、わたしのタグはこれだったかと気づいたことは

・転勤帯同妻

・中受母

・食物アレルギー児母

でした。正直、どれも「わたしなんて」、と思っているんですよね。

転勤帯同妻って言っていいのかしら、わたし海外駐妻は経験してないしな、東京より北は行ったことないしな、10年で4回なんて少ないのでは?など。

中受母って言っていいのかしら、うちの子たちは御三家や難関7校じゃないしな、あの大手塾じゃないしな、お弁当も大したことないしな、できる母には程遠いもんな、など。

食アレ児といっても、ひやっとしたことは何度あれど、エピペン使用しなかったしな(病院でボスミンは何度も使ったけれど)、救急車も使わずに来たしな(タクシーや自家用車でいけたから)、各地で大変有名な先生方にお世話になり10年超えの経口免疫療法を受けたとはいえ、多種類じゃないしな。いや免疫療法で結果の出にくい項目の代表格「乳」ではあったか。

といった具合。

このブログにある「タグ」も、そう考えるとなるほど、そうですよね。

 

 

今日はリカレントプログラムの同窓生とランチ会。

修了後久しぶりに会うクラスメイト達。企画してから、うきうきしたりわくわくしたり、エネルギーがでてきて仕事がんばれる、かと思えば。「わたし修了後に人に話せるような活躍は何もない」と勝手に落ち込んだり(なぜ修了後に必ず飛躍していなくてはならないのだ、という思い込み。そしてまだ修了後たった4か月しか経過していないという時間の感覚など、ツッコミどころはいろいろある)。

 

さて、そんな気持ちも全部まるごと同窓生に打ち明けて受け止めてもらうこととする。