通信制の大学院にはいって4か月が経ちました。
わたしが所属するのは社会人向け通信制大学院で、年に2回のスクーリングがあります。現在は4科目履修登録していて、各科目、月に1度程度の課題の提出があります。ある科目は先生の授業録画を視聴してA4のレポート4枚程度を提出、ある科目は教科書のここからここまでを熟読したうえで問題に答えよ(A4のレポート2枚程度)、ある科目は基礎テキスト〇章を読む、その他関連論文の資料が提示されていて、基礎から発展までの課題を一つ選んで答えよ、などなど。
で、すごいのが大学院生ひとりに指導教授がひとりついてくださるんです。自分の興味のある領域や修論に関連しそうな論文を先生から紹介してもらって、2週間に1回のペースでオンラインの指導を受けます。それまでの期間は論文を読んだり質問したりします。隔週1回の授業は毎度ぴったりというわけではなく、先生のタイミングやわたしのタイミングで2週連続になったり、2週飛んだり、時間をずらしてもらったりもしますが、とても柔軟に対応してくださいます。先生を独り占めして個人指導が受けられるこの学校すごすぎます。
本当にどの先生も大変丁寧に対応してくださるので、不安を抱えながらの取り組みも何とかなっている感じです。
通学型の大学院を知らないのですが、平日の夜に週2.3回?サテライト校にいったり、土日なんかは一日中缶詰になるんでしょうか。わたしのような仕事・家事(あと育児というには子たちはもう大きいのですが)のある身では、通信制だからこそ実現できる大学院生活という感じです。
4月5月はあこがれの大学院生、という高揚感もあって、課題なんかも無理のないペースでできていたのですが、息切れしたのか、体力なのか仕事のボリュームなのか、課題に追われるようになってきました。うーん、なんていうか、正直に言うと、逃げたくなってきたようなんです。
課題に追われるようになってきたことと、取り組む時間が減ってきていることは、課題の難易度が上がってきたことをきっかけとしていることに気づいたんですね。机に向かってもわからない、課題が難航して苦しい。わからない自分を認めるのが苦しい、やらなければ、理解できない自分を認めなくていい、というわけです。
そんな今日、先生とオンラインの授業の時間だったのですが、先生が伴走してくださる時間にすごくほっとした自分がいました。疑問の箇所も先生が易しい言葉で図を示しながら説明してくださることで、からまっていることが、ふっとほどけたような気持ちになったんです。もちろん少しの授業で難解な内容をすべて理解できるわけもないのですが、難しいことに一人で立ち向かってなんとかなるわけはない、ということが分かったんですね。
多少の勉強は独学でもできると思います。しかし専門家の指導というのはそれだけの価値があります(話がそれますが通信制の授業料は安いです。大学というのは設備費も大きいのだなあと感じます)。
ほっとするのと同時に、わたしは仕事で専門家としての価値を発揮できているのだろうかと考えてしまいました。