主婦が働くことについて焦るブログ

アラフォーおかん、学び直しの理想と現実

春休みの考察

職場に連休の希望を出して、春休みを過ごした。

本当は勉強会に参加するつもりで休みを取ろうとしていたのだが、参加できず。夫の単身赴任先に遊びにいくことに。

 

 

いつも何か詰め込んでいたわたしからすると勉強や研修でないお休みというのは、とてつもなく贅沢。

何よりスーツケースに本を入れなかったのはとても珍しいことだった。焦らないことを目標にしたからか?その時には気づかなかったけれど、本は入れなかったというのはいつもの自分と違う。結局読めなくても、本はいつも入れているのに。

本を読まないことで気づいたのだが、長距離移動は自分のことを考えるのにとても適した時間だな、と。普段すれ違わない人とすれ違うことは、自分を客観的に見るチャンス。

自分のことは自分が知っているはずだけど、

自分のことは自分ではわからない、ということを知る。

 

今回の移動に、本を持たなかったが、ノートパソコンを持って行ってレポートは作成した。わたしにとって、インプットはしなかったがアウトプットはした、ということ。

 

あちらこちらでベビーカーを押す人や子どもをあやす人々を見ながら、自分の子どもが手を離れつつあるということをしみじみ感じてしまった。まぁ子がひとり成人したといっても学費など金銭面ではまだ大きな存在だし、他にも成人していない子がいるのだけれど。

 

*****

 

少し前の日経で、若手はリスキリング迷子という記事があった。学び直しだ・リスキリングだ・キャリア自律だとか言われて「何を学べばいいのかわからない」のだと。この記事ではっきりと感じたが、私は子どもを産んでから専業主婦をはさんだ氷河期世代なので、現在子育てしている多くのワーキングマザー(産休育休を使ってブランクのない方たち)とはまったく別の人種なのだな。

周囲が何かやっているから自分も何かやらなくちゃと焦るのかしら。

それとも今は選択肢が多すぎて決められないということなのかしら。

またはコストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを重視することで、学んだ結果が「失敗」と感じるのが不安で選べない、ということなのかしら。

自分で自分のキャリアについて考えるというのは、まったく興味がないよりはいいと思うのだけれど。

節目ではないときは、ドリフトでいいのだと私の好きな金井壽宏さんが書いていたことを思い出す。